2016年2月29日月曜日

85式楊式太極拳を繰り返してみる

傅鍾文のインタビューでは
楊澄甫の言葉として、健康のためなら
朝晩2回でいいが
勁を積むには1日10回必要
最初の2回はウォーミングアップであり
4−5回目から勁を積むことができる
という言葉に触発されて
日曜日に回数を増やしてみました

午前中に、十三功の後、
10分ほどの休憩を入れながら
85式を続けてみました
2回目で、身体中がかなり温まり
手のひらがジンとしてくる
ウォーミングアップの意味がわかったような気がした
さらに、3回目は動くことが
だんだん大変になってきます
4回目には、身体中がべっとりと
してきて、クンフーを積むという感じがしました
午前中は、もうこれくらいにしました
午後に1回行い
夕食後の寝る前に1回半行ないました
さすがに、6回目はバランスを取るのが大変でした

傅鍾文の「バランスを取る練習が
丹田を鍛えること」という言葉に
励まされた感じです

これからも、休日に少しづつ増やして
やっていきたいですね

2016年2月28日日曜日

攬雀尾(らんちゅうえい)について

85式楊式太極拳の講習を受けると
攬雀尾が24式と違いすぎることにびっくりする
同時に、85式楊式太極拳の方が
合理的な動きになっていると感じる

例えば、攬雀尾の最初の掤の時に、
24式では、後ろの手は腰の横にある
85式では、後ろの手は前の手のすぐ後ろにある
前の手には触れない
そのあとの動きもかなり違う

この後ろの手は、外から見ると
何か中途半端な感じだが
85式を練習しているうちに
前の手の掤勁を作るために
大きな役割をしていることが理解出来る
ようになる

前の手に触れてもいないのに
後ろの手の位置がとても大切なのだ
後ろの手を24式のように、
腰の横に持ってくると
掤勁がなくなってしまう
前の手は簡単に崩されてしまう

太極拳で掤勁がないのは
ありえない
このことは、普段の24式の練習では
強調されていない
力をぬけとは言われるが
掤勁については何も触れられない
(僕の教室だけかも)

また、24式での攬雀尾はかなりやりにくいし
不安定な感じがする
85式は、やってみると、とてもスムースで
安定している
武術なので、不安定というのはおかしいだろう

24式は、楊式太極拳から武術的な要素を無くしたもの
とはよく言われる
楊式そのものが武術的ではないのだ
ともよく言われる
しかし、掤勁は85式楊式太極拳には
大切なものだ
楊 澄甫の本にあるように、武術の
勁を作るための85式楊式太極拳なのだ
もちろん武術としても使える
内容も盛り込まれている

調べてみると、「楊式太極拳」李徳印著
に、李玉林が楊式を行っている写真が載っている
1931年に撮ったとなっていて
楊 澄甫の有名な本の出版よりも前の写真である
楊 澄甫の写真とは結構違う
そこの攬雀尾は
24式とそっくりだ
これはびっくり
24式は、このやり方を真面目に
継承したものだろう
李徳印の本に載っている
楊式太極拳は、24式にそっくりだ
とても変だ
その辺の事情は
『伝統楊式太極拳と簡化24式太極拳』
に書かれている通りなのだろう







2016年2月25日木曜日

楊 澄甫の前文を読んで考えたこと

楊 澄甫の本の前文には、楊 澄甫が楊露禅の話に託して
太極拳を普及させようと考えた理由が述べられている
と考えられる

楊露禅が生きた当時の中国は、国としては清であり、清王朝の末期で
いわゆる列強から侵略を受けて国は荒れ
多くの人民は疲弊し無気力化した状態であった
(例えば、18世紀末からアヘン貿易は盛んになり,
それに対する批判が高まった結果
起こったアヘン戦争は1840年、
さらに義和団事件は1900年,
楊露禅が生まれたのは1799年である)
楊露禅は、そうした中国を見て、それを立て直すことに
太極拳を通して貢献できるのではと考えたのだろう
(あるいは、楊 澄甫がそのように楊露禅の考えを解釈したのだろう)
ちょうど、嘉納治五郎が柔術を柔道というスポーツにすることで
日本の近代化に貢献しようとしたという考えに通じると思う
(子供の頃に見た「姿三四郎」の映画のストーリーは
そんな感じだったように記憶してます)

また、楊式太極拳がなぜ体にいいのかも
理解できる
楊 澄甫は、前文で述べたこの目的に合うように
楊式太極拳の内容を整理し工夫したと考えられる
それは、いわゆる健康体操にしたということではなく
武術の土台を作るために有用にしたということであろう
つまり、勁を練るために有効な太極拳となるように工夫した
ということである
そうでなければ、人民を強靭にすることはできないから
練習を重ねることで、内容を深めることができる
ような太極拳にしたのだろう

これには、楊 澄甫の工夫がかなりあると思う
その事は、傅鐘文のインタビューからも
うかがえる

実際に武術として使えるようになるには、
かなりの練習が必要だが、その土台を
無理なく作れるように
85式楊式太極拳はなっている
という気がする
だからこそ、85式楊式太極拳は
練習すると、掤勁(ポンケイ)を感じられるようになり
しかも体に良いのではないだろうか
原則を守って練習すれば、どんどん太極拳の内容を
よくすることができるように感じる
失敗したことに目を向ける太極拳ではなく
うまくできたことをさらに伸ばせるような
優れた太極拳になったのだろう
もちろんやり尽くすには大変な、内容の豊かな太極拳である
ことは言うまでもない

これに対して
24式などの制定拳はうまくできたら終わりで
内容を深められない
そんな感じを受けてしまう

制定拳を指導されている多くの先生方から
この技ではなぜそうするのかについて納得できる説明を
受けたことがないのは
私だけだろうか
段級試験に受かるための指導はあるが
それが太極拳を深めることにどんな意味があるのか
説明されたことがない

さて、話を元に戻そう
戦後の新中国政府も
楊 澄甫が考えた太極拳のこうした目的を
革命以前から、ある程度知り、また理解していたからこそ
制定拳を作ろうとしたのだろう

残念なことに、その中心には
形こそ似ているが、
楊 澄甫が工夫した太極拳とは別物
を行っている人たちがいた
皮肉なことである
それが今も続き、日本の大勢も
制定拳になっているのは大変残念なことである
と個人的には思っている

なぜなら、制定拳は一見簡単そうで、
だが、一生懸命やると膝に良くないという
厄介なものだ
中味のない「放鬆」という言葉だけが強調され
その結果、上半身のインナーマッスルは鍛えられず
何か理解不能な内容が語られる

制定拳は競技で演じられ、見た目の華やかさを
求められるから、なおさら体に良くない
しばしば多くの人が、膝に問題を抱えてしまう
腰の問題を抱える人もいる
それらから逃れるために、いろいろ気をつけて
練習しないといけない

僕も、伝統楊式をやる前は、24式をやると膝の調子が悪くなった
いろいろ気をつけなければいけなかった
(もともと、左膝にスキーでの捻挫の
後遺症が残っているせいかなとも思っていた)

僕は、制定拳には「体を壊しやすい、
ガラス細工のような太極拳」という
印象を持っている
本当に太極拳とはこんなものなのかな、というのが
長年の疑問だった
傅清泉の講習会で伝統楊式85式太極拳に出会って、
この疑問は解けたのだ

伝統楊式85式太極拳には
そうしたことがない
これは驚くべきことだ
前にも述べたが、伝統楊式太極拳を練習して膝が痛くなったり
しないし、むしろ体のリハビリがされるようだ
動作の基本的な組み立てが違うからだと思っている
そこには人間の体の仕組みについての
深い理解があると思う
伝統楊式太極拳は、体にとって自然な動きをうまく使い
しかも体に本来備わっている
治癒能力をうまく引き出すようになっている

こうした太極拳を作り出したところが
楊露禅や楊 澄甫の偉大なところだと思っている
あるいは、背景には,中国の歴史の深さの
反映があるのかもしれない

おそらくそうした内容(体の養生と体の強靭化)は、
日本の武術にもある気がするが
それを普及することに、
日本の武術はあまり成功していない
ことは、少し残念である

2016年2月21日日曜日

楊 澄甫の本の前文(続きの続き)

その後、陳家溝の陳族の武術の評判を聞いた
私は、陳長興に教えを請うために、長い旅をして
陳家溝にいたった
村の門のところで、拒まれはしなかったが、
この武術について、少し詳しい教えを得るには
しばらく時間がかかった
10年もの間、待ち続けた
師は、私の誠意に動かされて
月の夜、みんなが静かに見守るなか、
技の真髄を見せてくれた
(この辺は、小説「偷拳」の影響を受けているかもしれません)

私が、全てを学んだ時
北京に行って全てをオープンに教えようと誓った

北京で教え始めて間も無く、私の弟子の中に、痩せて弱かったものたちが
それを克服し、病気から次第に健康になっていくのを見るようになり
私は大変喜んだ
だが、私一人で教えることには限界があのだ」

私の父たちとその弟子たちは、この技が
世の中の役に立つものと考え、
この世界を救うために、この技を学び教えることにしたのだろう
この話を聞いて、とうとう私は、
祖父のこの武術に対する偉大な勤勉さの理由を理解した
 さらに、一族の遺産として受け継いでいくことの重要性を
理解した
私は喜んで教えを請うことにしたのだ


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2016年2月19日金曜日

楊 澄甫の本の前文(続き)

座りなさい。 私の話を聞いておくれ。

私が行いそして教えている、この武術は
敵を倒すためのものではない
自分を守るためのものだ

これで世界を救えはしないが
この国を助けることができる

思慮深い人たちは、我が中国の問題は
人民の貧しさから来ていることを知っている
しかし、それが人民の弱さからきていることを知らない
だから人民を貧困から救おうとする策は知っているが
今のこの国の失敗から人民の目を覚まさせるような
弱さを克服するための策を知らない
この国の病気は謎のままになっている

誰がこの問題に、きちんと向き合っているのか

この長く続いた人民の弱さが、貧困の原因なのだ
様々な国が強くなっている様子を見てごらん
まず、はじめにその国の人民を強くすることを
しない国はないだろう
欧米の国々は言うに及ばず、小国の島国日本でも
そうだ
彼らは、体は小さいが、強くてくじけない
もし、彼らと痩せてやつれた我が人民が
競えば、どちらが勝つのかを予言する必要もない
であろう

もしそうなら、この国を救う確かな道は、この弱さから
人民を救うこと、その緊急さを認識することだ
これを無視しては、どんな策も成り立たない
ただ物事の表面をなでているだけだ

私は若かったので、自分でこの弱さの克服に
取り組んだ
私は、活力に富み体力的にも優れた職業的な武術家たちに
しばしばであった
私は魅了されて、彼らに教えを請うた
しかし彼らはそれを秘密にした


(続く)


楊 澄甫の本の前文


楊 澄甫の英語の本
The Essence and Applications of Taijiquan
を手に入れて
その前書きを読んでみました
日本語では手に入らなかったからです

英訳された方は、自分でも太極拳をされる方のようで
訳注が詳しい
訳者は、本文は、本当に楊 澄甫が書いたものかどうかは
怪しいと言っています
楊 澄甫の言葉を受けて弟子たちがまとめたのではないか
ということです

楊 澄甫の前文がとても面白いので紹介します
楊 澄甫が太極拳をどう位置付けていたのか
彼の世界観も知ることができ
なぜ太極拳が広まったのか
また、革命後の中国が太極拳を位置付けた理由も
よくわかる気がします

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楊 澄甫の前文

私が幼い頃、今は亡き祖父、楊露禅が
私の叔父や一族、そして弟子たちを引き連れ
太極拳の練習に精進しているのを見ていた
(楊露禅が生きたのは1799年 - 1872年、
楊 澄甫は1883年 - 1937年なので
実際には会うことはできません
ですから、以下の話は楊 澄甫が
彼の思想を説明するために作った
お話と考えたほうがいいでしょう)

あるものは一人で、あるものは推手で、
昼も夜も休むことなく練習に励んでいた
しかし、私にはある疑問があった

一人の敵の相手をするのにどんな意味があるのか
項羽のように、一人で1万の敵に立ち向かう
策を考えるべきだと思っていた

少し大きくなると、今は亡き叔父である
楊班侯が私に太極拳を教えてくれた

やがて、この疑問を隠すことができなくなり
私は,叔父にこの疑問をぶつけてみた
亡き父楊健侯は、この事を知って大変怒り
「お前は、なんと馬鹿なことを言うのだ。
お前のおじいさんが、この武術を
一族の偉大な遺産にしてくれたのだ。
お前は、これを受け継ぐという使命を
放棄するのか」

祖父は、これを聞いて、
「そんなふうに、子供を頭ごなしに叱るものではない」
と言って、私の父が怒るのをやめさせた
彼は、自分の手で私を落ち着かせて、次のように
話し始めた。

「座りなさい。私の話を聞いておくれ。


傅 鍾文老師のインタビューを読んで

傅 鍾文老師のインタビューを読んで考えたことは
わずか1日1−2回太極拳をやっているだけの
僕が言うのはおこがましいのですが

楊式太極拳はクンフーを積めるように
うまく作られているのだということです
やり方を覚えればそれで終わりではないのです
深めることができます
これが大切な点です

体の土台を作れるようになっている
実際に傅 鍾文老師がこれを死ぬ間際まで行って
身をもってこれを示しているのだと
思いました
(そのためには、傅 鍾文老師によれば
毎日8−10回やって
4−5回目からクンフーを良くできる
ということです)
楊式太極拳のポイントに書いたことが
大切ですが、その中でもウエストを使うことが
勁を感じるにはとても大切な気がします
例えば、雲手
ウエストを使い、手の位置を気をつけると
内臓筋が良く使われるのを感じれます
例えば、横腹筋、腹斜筋など
普通はなかなか使われない筋肉を鍛えることができます

同時になぜ優れているのかも
もっと知りたくなりました
それで楊澄甫についても調べてみました
そこで楊澄甫の本を手に入れて
読んでみました


2016年2月18日木曜日

伝統楊式太極拳について(傅 鍾文老師のインタビューから)続々

傅 鍾文の推手の能力は高く、
50−60歳の頃が一番だった
1980年に、中国武術家たちの
会議があった(傅 鍾文が生きたのは1903 - 1994
なので、この時77歳ということになる)
参加者はいかに自分の武術が優れているかを
声だかに話していた

傅 鍾文は、立ち上がり
「おしゃべりはやめよう
私はここにいる
誰でも、推手ではなくても良い
どんな武術を使っても良い
私を動かすことができたら
私は諸君の弟子になろう」

誰も傅 鍾文を動かすことことはできなかった
後になって、彼らは
 傅 鍾文と弟子達を招いて
推手を見せてもらい
その威力に驚いた

(そのあといろいろ逸話が続きますが省略)

傅 鍾文は、楊式太極拳を練習するときの
本質的な点について述べた

「例えば、
手首は軽く曲げるように
曲げすぎてはいけない
手首を曲げて手で押す時には、
手のひらではなく
手の小指側を使う
そうしないと手を痛める
練習によって、手首と手のひらに軽く圧力を
かけると血流を感じるように
なるだろう」

「体の根を強くすることは家を建てるようなものだ
丈夫な土台は簡単にはできない
何回も繰り返して、土台が堅く深くなるように
しなければいけない
胯を沈めて、お尻はリラックスして
体を沈めなければいけない
股間を持ち上げたくなるだろう
体の移動の時には、重心を上下してはいけない
背中をまっすぐにしすぎたりして、背中の命門を閉じてはいけない
胸は、凹ませすぎてもいけないし
背中は後ろに寄りかかりすぎてもいけない」

「首は水平で傾かずまっすぐにし、目は前を
まっすぐ見なければならない
足元を見ないこと、動く先を見ること
姿勢は少しづつ低くすること
そうすれば、膝を痛めない
膝がつま先から前には出ない
呼吸は自然にする」

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以上で終わりです

傅 鍾文老師は、有言実行の人なんだと思いました
彼が元気で死の間際まで太極拳を続けたことが、
伝統楊式太極拳が体にいいことを
裏付けているような気がします
本当にすごい人ですね


伝統楊式太極拳について(傅 鍾文老師のインタビューから)続き

傅 鍾文老師のインタビューの続きです
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傅 鍾文の孫の傅 清泉は、次の質問
「楊式太極拳が学んだのは陳式だったのか」
に傅 鍾文の次の言葉を紹介しています
「太極拳はただ一つである。
楊露禅が陳一族の村で学んだのは
今やっているものと同じものだ。
それは謂わゆる陳式ではない。
楊澄甫の本では、太極拳としている
太極拳はただ一つだ
太極拳の原理に従えば太極拳だ
人が、まったく同じようにできないのは当たり前だ
体が違うのだから
しかし動作を変えるのは目的ではない
楊澄甫は体が大きかったから
少し大きく動作を行い
楊少侯は体が小かったから
少し小さく動作を行った
それは呉式のように小さくはなかった」

「肩をリラックスさせ、肘を落とし
体重を前足にかけてリラックスすることだ
太極拳は楊露禅がこれを行い、
楊澄甫がこれを整えた」

「陳式という言葉も抱球という言葉も
1949年前には太極拳にはなかった
抱球は古いものを探ろうとした
当時の政府が見つけたものだ
太極拳のものではない」

「私と私の家族がやっているのは
楊露禅や楊澄甫がやっていたものだ
私はこれを変えていない唯一人の人だ
私はまだ学び続けている
彼らは、優れており、高い技術に発展させていた
どうして変えられようか」

「前に進むときに体重を後ろに戻してはいけない
多くの人が上手に太極拳を行っているが
このことを守らないと重要な点が失われる
クンフーを弱めてしまう」

「足への体重は虚実をきちんと分けること
両足荷重はいけない
例えば楼膝拗歩
大切なのは腕ではなく
ウエストである
ウエストを使うとリラックスできる
ウエストは司令塔であり
肩と肘をリラックスさせる
これを身につけるには
おしゃべりではなく練習である」

「防御には、発勁が大切である
これは、套路とは別に練習する
套路は動作をどのように使うかを
教えてくれる
同時に、防御の方法も教えてくれる」

「套路の大切な目的は、足を「大地にしっかりと根を張った
木」のように強くすることだ
推手は、よりリラックスさせるためのものであり
上体をリラックスさせる
力は発勁からくる」

「発勁は、套路の中のすべての
技の中から一つを取り出して
練習することができる」

「発勁が強くなってきたら
リラックスして肘を緩めること
槍を使った練習も方法の一つ」

「楊澄甫が推手で、発勁をすると
それをどうやったのかは見えなかった
それは丹田の中に強い発勁を
持っていたからだ」

「丹田のことを考えて練習してはいけない
考えては丹田は得られない
バランスをとることに集中しなさい」

(続く)


2016年2月17日水曜日

伝統楊式太極拳について(傅 鍾文老師のインタビューから)

伝統楊式太極拳がどうしてこんなに
体にいいのかを知りたくて
いろいろ調べてみました
そして傅清泉老師のおじいさんの傅 鍾文老師の
英語のインタビューを見つけて読んでみました
これが大変素晴らしい
last interview of Fu Zhongwen
(最近調べましたらリンクがリンク先が
無くなってました
検索で見つかったらリンクし直します 2018.08
ここにありました 2019.01
リンクが新しくなってます。 2021.05)

これは彼が亡くなる2ヶ月前のインタビューです
アメリカに招かれた時のものです
以下は、その内容です
これを読むと伝統楊式太極拳がなぜ体に良いのかが
少しづつ理解できます
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傅 鍾文は、「わたしがやっている太極拳は
楊澄甫から教わった通りのものをやっている」と言っています

傅 鍾文は、楊澄甫の家のそばに住んでいて
9歳から太極拳を習い、やがて楊澄甫と一緒に
太極拳を教えています
(傅鍾文(1903 - 1994)が9歳と言うことは、
楊澄甫(1883−1937年)は
29歳と言うことになります。
つまり楊澄甫の太極拳を子供の時から受け継いだと言うことでしょう。
また、楊澄甫が晩年死を迎えようとした時、
傅鍾文は楊澄甫を引き取って彼の最後を見届けています。
この時、傅鍾文は34歳です。その後、楊澄甫の遺族は
北京に移ります。傅鍾文は、楊澄甫の命日には
必ず毎年北京の楊澄甫の遺族を弔問に訪れていたそうです。
そのことは、傅鍾文の家族には内緒にしていたそうです。
傅鍾文の孫の傅清泉は、このことを数年前に楊澄甫の4男の楊振国から
教えてもらうまで知らなかったそうです。)

楊澄甫は、この太極拳を1日に8−10回行うことで
クンフーが身につくと言っていたそうです
しかも、連続しなければいけない
最初の2回はウォーミングアップ
その後の4−5回目からクンフーが改善されてくる
健康のためなら朝と夕方の2回、それぞれ1回20分づつ
で良い
しかし、武術にはならない

楊澄甫は、弟子が太極拳を行うのをずっと見守り
動作が正しくなるよう直していたそうです
また、楊澄甫は、傅 鍾文が教えている時には、
それを見守り、
どんなふうに太極拳をすべきかをアドバイスしたそうです
そして、楊澄甫は太極拳の原理の大切さについてよく語ったそうです
傅 鍾文は、「太極拳の原理を語る人は多いが、それを実行するのは
難しい。それを実行して
内面的なものと外見的なものを一致させなければならない」
と言います

「85式太極拳は20分が理想で、それより早くても遅くてもいけない。
せいぜい18−22分くらい。
遅すぎてはいけない。早すぎると筋肉は十分使えないし
遅すぎるとそれは止まっていることで、太極拳ではない。
そこには勁はない
速度は一様で、途中で止まってはいけない」

「勁があるかどうかを説明するのは難しいが
それがあれば、それを使えるのだ
十分かどうかは、体のバランスが教えてくれる
体勢を低くし、肘とウエストを緩めること
ウエストは動き出す時の軸になる
これが体の動きの仕組みである
はどこから来るかといえば、
太極拳からである
そのためには1日10回は必要だ
これを1年続けると勁を感じるはずだ
楊澄甫は18年これをやって
高い技術を身につけたのだ」

(続く)

伝統楊式太極拳のポイント

楊式太極拳の講習会は年一回あり、2015年まで7回
講習会に出ました。
その内容は実に豊富ですが
ポイントと言えるものをいつくか挙げておきます

提肛(ティータン)
これは太極拳の姿勢に対する要求です
説明は難しいですが、体の中で骨盤の前後の
傾きを変えて背骨がまっすぐになる感じです
頭からかかとまで繋がる感じを目指すようです
体の中の感じでこれを作ることが大切です
体の中から

円襠開胯(エンダン カイクワ)
これは、弓歩から動き始めに開く前足の
動作に対する要求です
説明は難しいですが、股関節を開く感じです
体の中の感じでこれを作ることが大切
弓歩の時の、後ろ足もやはり股関節を開き
膝とつま先の方向が揃うようにします

弓歩は、前足に十分体重をのせる
しかも、膝の位置はつま先近くまで深くする
骨盤の向きは円襠開胯ができるように斜めに

体重の乗った足で開胯し次の動作に移る
後座(ホウゾウ)はしない
この二つは制定拳と大きく違うところです
最近、この二つが楊式太極拳が
膝にとても良い理由かなと思ってます

腰はウエストである
腰を回す動作はウエストを捻るようにする
制定拳では、これをしてはいけないと言われます
楊式太極拳ではこれが大切です
理由は早く動けるために
腰(ウエスト)をよく使う必要があるそうです
これをやると体の中の、普段使わない筋肉
(インナーマッスル)が
使われている感じがします

肘を意識する

開合を意識する

平円と立円を意識する

この三つも説明が難しいです

間違った説明をするとまずいので
興味のある方は
しかるべく講習会に出ましょう







伝統85式楊式太極拳(その2)

85式を毎日やると、いろいろ不思議なことが起こりました

まず、太極拳の套路(トウロ)を通している途中から、
体の芯からあったまってくる
これはとても不思議な感じです
遠赤外線を、頭の後ろの背中の方から
浴びているような感じとでも
言えそうな

次に、次の朝起きた時の膝が
軽くてスムースに曲がる感じです
体のメンテナンスがされたみたいに
感じます
これはとてもびっくりです
今まで、太極拳の練習の次の日は
疲れが膝にたまって
膝が重い感じがするのが普通でしたから

太極拳の練習がある日も
朝と夜寝る前に85式を通します
次の日の朝起きた時の膝の調子がとても良くなりました

夜中に布団の中で、膝を中心として
足が熱くなっているのを
眠りが浅くなった時に気付きました
睡眠中に膝を中心に
リハビリがされている気がします

睡眠中に腹式呼吸をしている
眠りが浅くなった時に
仰向けに寝ている時、
あっ、以前よりも深く腹式呼吸をしている
と気がつきました

太極拳をしている時に、体の中に芯ができてくる感じがする
そして、それが足から腰そして手の先まで
伝わってくるような感じがする
中国武術でいう勁というものかもしれません

套路(トウロ)を通した後の充実感は制定拳では得られないものです
制定拳の定式という、外見を気にするやり方とは違い
自分の体の中と向き合って太極拳をやる、という感じです
制定拳では、失敗したことに目がいってしまいますが
楊式太極拳では、むしろ出来たことに目が向くようです
自分の体を作るために太極拳をしている感じがします

以上は24式や総合太極拳、48式では
得られなかったものです
その違いはどこから来たのでしょうか

今から考えると,それは楊式太極拳が大変優れているからと言えます
楊式太極拳のポイントは次のようにまとめられます

2016年2月16日火曜日

伝統85式楊式太極拳

傅清泉の講習会では、2009年から
楊式太極拳は28式を最初に習い
次に85式の前半までを習いました
年一回2日間の講習を受けるだけです
初めは教えていただいても基本的なこと以外は
次の年までには忘れていて、
また、思い出すことの繰り返しでした

5年ほどしてから、通っている教室で28式を週に一度くらい練習する
ことになりました。
それをやっていましたが、一昨年に28式は終わりになり
それから、28式の練習をサボっていました
技の順番を
覚えているからいいかなという感じです

昨年の楊式太極拳の講習会で
それではいけないことが自分なりにはっきりし
(傅先生に「練習してないね」と見抜かれたように感じました)
やはり続けることが大切なのだと
理解して、どうせなら習ったばかりの
85式前半を、今日まで毎日やっています

85式は全部やると20分くらいかかります
前半でも10分くらい
普通はやる気が起きないですが
でも、やってみようと

そうしたら、あーら不思議
途中から体が熱くなってきます
体の芯の方からポカポカする感じです
息が乱れるとかいうことではありません

たまたま、太極拳の教室の日の
朝に85式前半をやっておくと
教室では今まで感じたことのないような
感じがしてきます
体の芯からポカポカ

傅清泉老師(中国では先生のことを
こう呼ぶそうです)も28式を3回やるのと
85式を一回やるのでは体に対する効果は
全然違うということを言っておられました

気が身体をめぐるとは
なるほど、このことなのかと
感心し、それから毎日続けつつ、
どうしてこんなに楊式太極拳が
体にいいのか疑問に思って、
傅清泉老師のおじいさんの
傅鍾文老師のことをいろいろ調べてみました
(続く)


伝統楊式太極拳

いろんな講習会がありました
いろいろ参加し、大変ためになったような気がしました
その中に伝統楊式太極拳がありました
2009年でした

講師の方は清泉です
傅鍾文のお孫さんです
(https://ja.wikipedia.org/wiki/傅鍾文)
この方の太極拳を見てびっくりしました
太極拳を作った楊露禅の孫である楊澄甫の太極拳の写真に
そっくりだったのです
(例えばここに写真があります

それが、そのまま目の前で動いている
これは、太極拳を長く続けた人なら理解出来る
感動だと思います
ここで初めて、あの写真は本物の動作だと思いました

いろんなお話もありました
その中で、伝統楊式太極拳は
24式とは違う中味であると
おっしゃっていました
正直、初めはよく理解できないところもありました
しかし、弓歩の作り方などを指導していただき
だんだん理解できることも増えてきました

決定的だったのは、去年の講習会の後で
毎日85式をやってみようと始めてみたことでした





制定拳への不満

太極拳は、普通24式というのから始めます
僕も24式から

一緒に数人が教室に新しく参加したので
先生は動作を丁寧に説明してくれました
でも、なかなかうまくできずに、でも
僕より若い人たちばかりだったので
楽しい練習でした

腰痛は練習の成果なのかなくなりました
太ももが痛くなることもあり
じわっとした運動が気持ちがいいなと
感じます
でも、膝の違和感は残ります

そのうちにちょっと頑張ると
膝が痛くなります

実は、若い時に、左膝をスキーで痛めています
そのせいかと、なんとなく納得していました
いろいろ気をつければいいかなと

でも、しばらくしてから伝統楊式太極拳と出会って
そもそも24式のやり方に
問題があったのではと思えてきたのは
意外に最近のことです

この24式などのことを
制定拳と呼びます

24式太極拳の問題点は
第九回『伝統楊式太極拳と簡化24式太極拳
にも書かれています

太極拳のきっかけ

太極拳のきっかけは、僕らの世代にはありがちな
サントリーのコマーシャルです
烏龍茶のコマーシャルだと思うのですが
優雅な音楽に合わせて、美しい女性が太極拳を
やっていました
優美な動きにすごいなと思いました
多分、日中国交回復の頃かと思います
その頃、腰を痛めていたので
腰に良い運動だと、どこからか聞いて
いつかやってみたいと思っていました

しばらくして、大学院生の頃、農学部の先生が職員を対象に
お昼休みにやっていると教えてもらい、
見学しに行ったら、もう皆さんマスターして
いて新参者が参加する感じではなく、1回のみの
参加でした
つま先を上げてかかとをつけた、スウワイショが印象的でした

やがて結婚して、子供ができ
小学生になった子供が「おーい竜馬」の
影響で剣道を始めます
会場は、地域の地区センターというところで
そこに太極拳のサークルがありました
子供が剣道をやっている間、
奥さんは太極拳に参加するというので、僕も
職場から帰る途中にそこによって
家族で一緒に帰ることになりました
「健康太極拳」というもので、
動作の意味がよく分からないというのが印象でした
指導してくれた方は、合気道もやっている方でした
教えている先生も同じようなことを言っていたような

やがて、仕事が忙しくなり
1年もしないうちに行かなくなりました

息子が中学になり、剣道をやめるということで
奥さんは別の太極拳の教室を見つけてきました
駅前の新聞社のカルチャースクールです
奥さんの評価は高く、
職場からの帰りに寄れるところだったので
僕も息子と参加することに


太極拳の覚書

2016年で、太極拳を始めて、もう17年になります。
いろいろ考えたことを、覚え書として、ここに書いてみます。