2016年2月18日木曜日

伝統楊式太極拳について(傅 鍾文老師のインタビューから)続き

傅 鍾文老師のインタビューの続きです
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傅 鍾文の孫の傅 清泉は、次の質問
「楊式太極拳が学んだのは陳式だったのか」
に傅 鍾文の次の言葉を紹介しています
「太極拳はただ一つである。
楊露禅が陳一族の村で学んだのは
今やっているものと同じものだ。
それは謂わゆる陳式ではない。
楊澄甫の本では、太極拳としている
太極拳はただ一つだ
太極拳の原理に従えば太極拳だ
人が、まったく同じようにできないのは当たり前だ
体が違うのだから
しかし動作を変えるのは目的ではない
楊澄甫は体が大きかったから
少し大きく動作を行い
楊少侯は体が小かったから
少し小さく動作を行った
それは呉式のように小さくはなかった」

「肩をリラックスさせ、肘を落とし
体重を前足にかけてリラックスすることだ
太極拳は楊露禅がこれを行い、
楊澄甫がこれを整えた」

「陳式という言葉も抱球という言葉も
1949年前には太極拳にはなかった
抱球は古いものを探ろうとした
当時の政府が見つけたものだ
太極拳のものではない」

「私と私の家族がやっているのは
楊露禅や楊澄甫がやっていたものだ
私はこれを変えていない唯一人の人だ
私はまだ学び続けている
彼らは、優れており、高い技術に発展させていた
どうして変えられようか」

「前に進むときに体重を後ろに戻してはいけない
多くの人が上手に太極拳を行っているが
このことを守らないと重要な点が失われる
クンフーを弱めてしまう」

「足への体重は虚実をきちんと分けること
両足荷重はいけない
例えば楼膝拗歩
大切なのは腕ではなく
ウエストである
ウエストを使うとリラックスできる
ウエストは司令塔であり
肩と肘をリラックスさせる
これを身につけるには
おしゃべりではなく練習である」

「防御には、発勁が大切である
これは、套路とは別に練習する
套路は動作をどのように使うかを
教えてくれる
同時に、防御の方法も教えてくれる」

「套路の大切な目的は、足を「大地にしっかりと根を張った
木」のように強くすることだ
推手は、よりリラックスさせるためのものであり
上体をリラックスさせる
力は発勁からくる」

「発勁は、套路の中のすべての
技の中から一つを取り出して
練習することができる」

「発勁が強くなってきたら
リラックスして肘を緩めること
槍を使った練習も方法の一つ」

「楊澄甫が推手で、発勁をすると
それをどうやったのかは見えなかった
それは丹田の中に強い発勁を
持っていたからだ」

「丹田のことを考えて練習してはいけない
考えては丹田は得られない
バランスをとることに集中しなさい」

(続く)


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