楊 澄甫の本の前文には、楊 澄甫が楊露禅の話に託して
太極拳を普及させようと考えた理由が述べられている
と考えられる
楊露禅が生きた当時の中国は、国としては清であり、清王朝の末期で
いわゆる列強から侵略を受けて国は荒れ
多くの人民は疲弊し無気力化した状態であった
(例えば、18世紀末からアヘン貿易は盛んになり,
それに対する批判が高まった結果
起こったアヘン戦争は1840年、
さらに義和団事件は1900年,
楊露禅が生まれたのは1799年である)
楊露禅は、そうした中国を見て、それを立て直すことに
太極拳を通して貢献できるのではと考えたのだろう
(あるいは、
楊 澄甫がそのように楊露禅の考えを
解釈したのだろう)
ちょうど、嘉納治五郎が柔術を柔道というスポーツにすることで
日本の近代化に貢献しようとしたという考えに通じると思う
(子供の頃に見た「姿三四郎」の映画のストーリーは
そんな感じだったように記憶してます)
また、楊式太極拳がなぜ体にいいのかも
理解できる
楊 澄甫は、前文で述べたこの目的に合うように
楊式太極拳の内容を整理し工夫したと考えられる
それは、いわゆる健康体操にしたということではなく
武術の土台を作るために有用にしたということであろう
つまり、勁を練るために有効な太極拳となるように工夫した
ということである
そうでなければ、人民を強靭にすることはできないから
練習を重ねることで、内容を深めることができる
ような太極拳にしたのだろう
これには、楊 澄甫の工夫がかなりあると思う
その事は、
傅鐘文のインタビューからも
うかがえる
実際に武術として使えるようになるには、
かなりの練習が必要だが、その土台を
無理なく作れるように
85式楊式太極拳はなっている
という気がする
だからこそ、85式楊式太極拳は
練習すると、掤勁(ポンケイ)を感じられるようになり
しかも体に良いのではないだろうか
原則を守って練習すれば、どんどん太極拳の内容を
よくすることができるように感じる
失敗したことに目を向ける太極拳ではなく
うまくできたことをさらに伸ばせるような
優れた太極拳になったのだろう
もちろんやり尽くすには大変な、内容の豊かな太極拳である
ことは言うまでもない
これに対して
24式などの制定拳はうまくできたら終わりで
内容を深められない
そんな感じを受けてしまう
制定拳を指導されている多くの先生方から
この技ではなぜそうするのかについて納得できる説明を
受けたことがないのは
私だけだろうか
段級試験に受かるための指導はあるが
それが太極拳を深めることにどんな意味があるのか
説明されたことがない
さて、話を元に戻そう
戦後の新中国政府も
楊 澄甫が考えた太極拳のこうした目的を
革命以前から、ある程度知り、また理解していたからこそ
制定拳を作ろうとしたのだろう
残念なことに、その中心には
形こそ似ているが、
楊 澄甫が工夫した太極拳とは別物
を行っている人たちがいた
皮肉なことである
それが今も続き、日本の大勢も
制定拳になっているのは大変残念なことである
と個人的には思っている
なぜなら、制定拳は一見簡単そうで、
だが、一生懸命やると膝に良くないという
厄介なものだ
中味のない「放鬆」という言葉だけが強調され
その結果、上半身のインナーマッスルは鍛えられず
何か理解不能な内容が語られる
制定拳は競技で演じられ、見た目の華やかさを
求められるから、なおさら体に良くない
しばしば多くの人が、膝に問題を抱えてしまう
腰の問題を抱える人もいる
それらから逃れるために、いろいろ気をつけて
練習しないといけない
僕も、伝統楊式をやる前は、24式をやると膝の調子が悪くなった
いろいろ気をつけなければいけなかった
(もともと、左膝にスキーでの捻挫の
後遺症が残っているせいかなとも思っていた)
僕は、制定拳には「体を壊しやすい、
ガラス細工のような太極拳」という
印象を持っている
本当に太極拳とはこんなものなのかな、というのが
長年の疑問だった
傅清泉の講習会で伝統楊式85式太極拳に出会って、
この疑問は解けたのだ
伝統楊式85式太極拳には
そうしたことがない
これは驚くべきことだ
前にも述べたが、伝統楊式太極拳を練習して膝が痛くなったり
しないし、むしろ体のリハビリがされるようだ
動作の基本的な組み立てが違うからだと思っている
そこには人間の体の仕組みについての
深い理解があると思う
伝統楊式太極拳は、体にとって自然な動きをうまく使い
しかも体に本来備わっている
治癒能力をうまく引き出すようになっている
こうした太極拳を作り出したところが
楊露禅や楊 澄甫の偉大なところだと思っている
あるいは、背景には,中国の歴史の深さの
反映があるのかもしれない
おそらくそうした内容(体の養生と体の強靭化)は、
日本の武術にもある気がするが
それを普及することに、
日本の武術はあまり成功していない
ことは、少し残念である